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「文化財収蔵庫」に収蔵されているいろいろな道具などを
たくさん紹介します。
また、その道具を使ったムービーもご覧ください。
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古墳時代の出土品と用語解説
四神二獣鏡(ししんにじゅうきょう) 四神二獣鏡(ししんにじゅうきょう)

明治時代(めいじじだい)に石亀塚古墳(いしかめつかこふん)の盛土(もりつち)が削(けず)り取られたとき、鉄製(てつせい)の刀(かたな)や、よろいの一種(いっしゅ)である短甲(たんこう)、やきものの須恵器(すえき)などと一緒(いっしょ)に出土(しゅつど)したといわれている青銅鏡(せいどうきょう)です。しかし、このときに出土(しゅつど)したものは失(うしな)われてしまい、残念(ざんねん)ながら残(のこ)っているのは、この青銅鏡(せいどうきょう)だけです。鏡(かがみ)の裏面(うらめん)には、4人の神さまと2匹(ひき)の獣(けもの)の姿(すがた)が文様(もんよう)としてつけられています。

石亀塚古墳(いしかめづかこふん)出土(しゅつど)。
直径:13.3cm

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乳文鏡(にゅうもんきょう) 乳文鏡(にゅうもんきょう)

昭和時代(しょうわじだい)の初(はじ)めに、いわき塚古墳(いわきづかこふん)から出土(しゅつど)したと伝(つた)えられている小型の青銅鏡(せいどうきょう)で、縁(ふち)の一部(いちぶ)が欠けてしまっています。乳文(にゅうもん)というのは、鏡(かがみ)の裏面(うらめん)にあるひもを通す孔(あな)である鈕(ちゅう)の周(まわ)りに配置(はいち)された、9個(こ)の小さな円形の突起(とっき)のことです。赤色の部分は棺(ひつぎ)の中に充(み)たされた朱(しゅ)が付いたもので、この鏡は亡くなった人のそばに、たいせつに扱(あつか)われて納(おさ)められたものと考えられます。

いわき塚古墳(いわきづかこふん)出土(しゅつど)。
直径:6.7cm

鉄製(てつせい)の矛(ほこ)と石突(いしづき) 鉄製(てつせい)の矛(ほこ)と石突(いしづき)

昭和時代(しょうわじだい)の初(はじ)めに、いわき塚古墳(いわきづかこふん)から出土(しゅつど)したと伝(つた)えられています。矛(ほこ)は敵(てき)を突(つ)き刺(さ)すための武器(ぶき)で、中に木製(もくせい)の長い柄(え)をはめ込(こ)むようになっています。もうひとつは先端(せんたん)が丸く作られており、矛の反対側(はんたいがわ)、つまり矛を手に持って立てたときに柄が地面(じめん)に接(せっ)する部分に取り付けられた、石突(いしづき)と考えられます。写真(しゃしん)の木の柄は現代(げんだい)のもので、実際(じっさい)は2〜3mの長さがあったと推定(すいてい)されます。

いわき塚古墳(いわきづかこふん)出土(しゅつど)。
長さ:26.0cm(左)
10.8cm(右)

土錘(どすい) 土錘(どすい)

魚を捕(と)るための網(あみ)に付けられた、おもりです。土器(どき)のように、粘土(ねんど)を焼(や)いて作ったものです。細長いビーズのように中心(ちゅうしん)に孔(あな)があいているので、紐(ひも)を通して網に取り付けることができます。ひもは使いかたを復原(ふくげん)したものです。

下小口(しもおぐち)7丁目にて出土(しゅつど)。
長さ:2.5〜4.8cm

あて具(あてぐ) あて具(あてぐ)

土器(どき)を作るときの調整技法(ちょうせいぎほう)のひとつに、叩き目技法(たたきめぎほう)というものがあります。これは成形(せいけい)を済(す)ませた土器の外側を、刻み目(きざみめ)をつけた板などで叩(たた)きしめて整(ととの)える技法ですが、そのときに土器をはさむように内側にあてがう道具です。

日高遺跡(ひだかいせき)出土(しゅつど)。
直径:8.9cm

はそう はそう

小さな壺(つぼ)のような須恵器(すえき)ですが、胴(どう)のまん中に孔(あな)があいています。この孔に細い竹を切って作った管(くだ)を挿(さ)し込(こ)んで、お酒(さけ)などの液体(えきたい)を注(そそ)ぐのに使われたと考えられています。

城屋敷(しろやしき)1丁目にて出土(しゅつど)。
高さ:14.2cm

鉄鏃(てつぞく) 鉄鏃(てつぞく)

鉄製(てつせい)のやじりです。古墳時代(こふんじだい)には鉄素材(てつそざい)の流通量(りゅうつうりょう)が増(ふ)えたので、たくさん作られるようになり、いろいろな形の鉄鏃(てつぞく)がありました。戦(たたか)いで使うのに充分な量が供給(きょうきゅう)されたので、副葬品(ふくそうひん)として古墳にもたくさん納(おさ)められました。

いわき塚古墳(いわきづかこふん)出土(しゅつど)。
長さ: 6.5cm(左)
10.1cm(右)

礫器(れっき) 須恵器(すえき)

縄文土器(じょうもんどき)から弥生土器(やよいどき)、土師器(はじき)とつづく野焼(のや)きで作る土器とはちがい、温度(おんど)を高く上げた窯(かま)の中で還元焔焼成(かんげんえんしょうせい)された硬(かた)い土器です。形を整(ととの)えるのに、ろくろも使われるようになりました。須恵器(すえき)を作る技術(ぎじゅつ)は5世紀に朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から伝(つた)わったものですが、その後、うわぐすりがかけられるなどして、今でいう「せともの」の陶器(とうき)へと発展(はってん)します。現在(げんざい)の小牧市(こまきし)の桃花台(とうかだい)ニュータウンにも、かつて須恵器を焼(や)いた窯がたくさん存在(そんざい)していました。「上末(かみすえ)」や「下末(しもすえ)」といった地名(ちめい)とも、関連(かんれん)があると考えられています。写真(しゃしん)の須恵器(すえき)は蓋坏(ふたつき)といって蓋(ふた)と器(うつわ)がセットになるものです。

いわき塚古墳(いわきづかこふん)出土(しゅつど)。
口径: 9.0cm(左)
10.2cm(右)

鉄製銀象嵌大刀(てつせいぎんぞうがんだいとう) 鉄製銀象嵌大刀(てつせいぎんぞうがんだいとう)

昭和時代(しょうわじだい)の初(はじ)めに、いわき塚古墳(いわきづかこふん)から出土(しゅつど)したと伝(つた)えられています。二つに折(お)れてしまって切先(きっさき)の部分が欠けていますが、全体の長さを復元(ふくげん)してみると110cmを超(こ)える、とても大きな刀(かたな)です。銹(さび)を取り除(のぞ)いたところ、溝(みぞ)を彫(ほ)った中に銀(ぎん)でできた針金(はりがね)を埋(う)め込(こ)む方法(ほうほう)で描(えが)かれた、銀象嵌(ぎんぞうがん)による美しい文様(もんよう)が発見(はっけん)されました。この文様は全国でも10例(れい)ほどしかみつかっていない、珍(めずら)しいものです。

いわき塚古墳(いわきづかこふん)出土(しゅつど)。
長さ:45.5cm(左)
55.3cm(右)

古墳(こふん) 古墳(こふん)

おおよそ、3世紀後半(こうはん)から7世紀にかけて築造(ちくぞう)された盛土(もりつち)をもつ墓(はか)のことで、古墳(こふん)の造(つく)られた時代(じだい)を「古墳時代」として区分(くぶん)しています。古墳の形には前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)、前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)、方墳(ほうふん)、円墳(えんぷん)などがありますが、前方後円墳には犬山市(いぬやまし)の青塚古墳(あおつかこふん)のように巨大(きょだい)なものが多く、身分(みぶん)の高い人の墓とみられます。大和政権(やまとせいけん)とも、関(かか)わりがあったかもしれません。ただ、弥生時代(やよいじだい)の後期(こうき)にも盛土をもつ墓が造られることもあり、それが古墳であるかどうかが弥生時代と古墳時代を分ける基準(きじゅん)となっているために、問題(もんだい)となることがあります。現状(げんじょう)では、定型化(ていけいか)した前方後円墳の登場(とうじょう)をもって、古墳時代の始(はじ)まりと考えられています。古墳には内部(ないぶ)に棺(ひつぎ)を納(おさ)めるための部屋のような施設(しせつ)が築(きず)かれ、武器(ぶき)や装身具(そうしんぐ)、土器(どき)などの副葬品(ふくそうひん)も入れられました。
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