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善光寺塚古墳(ぜんこうじづかこふん) 善光寺塚古墳(ぜんこうじづかこふん)

上小口(かみおぐち)にある直径(ちょっけい)が27〜28mの円墳(えんぷん)で、高さは約(やく)3.7mです。東と北には段(だん)になっている所(ところ)があったといい、古墳の表面(ひょうめん)に段を設(もう)けた「段築(だんちく)」の可能性(かのうせい)があります。

上小口1丁目

上向江古墳(かみむかえこふん)

上小口(かみおぐち)にあった円墳(えんぷん)です。槍(やり)や玉類(ぎょくるい)、乗馬(じょうば)に使う馬具(ばぐ)が出土し、これらは東京国立博物館(とうきょうこくりつはくぶつかん)に収蔵(しゅうぞう)されています。

上小口2丁目

寺浦遺跡(てらうらいせき)

余野(よの)の徳林寺(とくりんじ)の西にある遺跡(いせき)で、浅畑遺跡(あさはたいせき)とも呼(よ)ばれていました。コーヒーカップのような形(かたち)をした須恵器(すえき)の、把手付坏(とってつきはい)が出土(しゅつど)しています。

余野字寺浦

大日塚古墳(だいにちづかこふん) 大日塚古墳(だいにちづかこふん)

大屋敷(おやしき)にある直径(ちょっけい)が20m以上(いじょう)、高さ3mの円墳(えんぷん)で、造(つく)られたときはもっと大きかったと考えられます。この古墳(こふん)のまわりでは古墳時代の土器(どき)がみつかることがあり、集落(しゅうらく)のあったことが推定(すいてい)されています。

大屋敷2丁目

しょうねん塚古墳(しょうねんづかこふん) しょうねん塚古墳(しょうねんづかこふん)

大屋敷(おやしき)にある直径(ちょっけい)が13m、高さ2mの円墳(えんぷん)です。むかし、古墳(こふん)の南側(みなみがわ)にあったといわれる大きな石は、棺(ひつぎ)を納(おさ)めた部屋(へや)である石室(せきしつ)の一部(いちぶ)だったかもしれません。

大屋敷3丁目

桜塚古墳(さくらづかこふん) 桜塚古墳(さくらづかこふん)

大屋敷(おやしき)にある、直径(ちょっけい)が13m、高さ2mの円墳(えんぷん)です。古墳(こふん)の上に大きな桜(さくら)の樹(き)が生(は)えているのでこの名前がありますが、「1本の樹に一重(ひとえ)と八重(やえ)の花がいっしょに咲(さ)いた」という言い伝(つた)えがあります。昭和時代の初(はじ)め、棺(ひつぎ)を納(おさ)めた部屋(へや)である、石室(せきしつ)のような川原石(かわらいし)を積(つ)んだ施設(しせつ)が発見(はっけん)されたそうですが、副葬品(ふくそうひん)は何もなかったそうです。

大屋敷3丁目

東屋敷古墳(ひがしやしきこふん) 東屋敷古墳(ひがしやしきこふん)

堀尾跡(ほりおせき)にあった円墳(えんぷん)で、昭和時代の初めに盛土を取り去(さ)ったところ、中から棺(ひつぎ)を納(おさ)めた部屋(へや)である石室(せきしつ)が現(あら)われ、須恵器(すえき)と土師器(はじき)が出土(しゅつど)したそうです。

堀尾跡1丁目

白木遺跡(しらきいせき) 白木遺跡(しらきいせき)

豊田地区(とよたちく)で農地整理(のうちせいり)が行(おこな)われたときに発見(はっけん)された遺跡(いせき)で、昭和47年(1972年)に発掘調査(はっくつちょうさ)がされました。2つの竪穴式住居址(たてあなしきじゅうきょし)や溝(みぞ)、古墳時代(こふんじだい)から平安時代(へいあんじだい)までの遺物(いぶつ)が出土(しゅつど)しているので、長いあいだ人々が住み続けていたようです。近くには白木古墳(しらきこふん)をはじめ、いわき塚(づか)古墳、神福神社(しんぷくじんじゃ)古墳や東屋敷(ひがしやしき)古墳があり、こうした古墳を築(きず)いた有力者(ゆうりょくしゃ)との関係(かんけい)が注目(ちゅうもく)されます。

豊田1丁目

いわき塚古墳(いわきづかこふん) いわき塚古墳(いわきづかこふん)

いわき塚古墳(づかこふん)は豊田(とよた)にあった古墳で、昭和時代(しょうわじだい)の初(はじ)めに盛土(もりつち)を取り去(さ)ったとき、中から棺(ひつぎ)を納(おさ)めた部屋(へや)である石室(せきしつ)が現われて鉄製大刀(てつせいだいとう)、鉄鏃(てつぞく)、鉄矛(てつほこ)、須恵器(すえき)が出土(しゅつど)したといいます。

豊田1丁目

神福神社古墳(しんぷくじんじゃこふん) 神福神社古墳(しんぷくじんじゃこふん)

豊田(とよた)にある古墳(こふん)で前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)と考えられていますが、古い地図(ちず)を調べた結果(けっか)から円墳(えんぷん)だったのだと主張する学者もいます。前方後円墳の場合は全長54m、円墳の場合は直径約30mと推定されます。

豊田2丁目

西郷前遺跡(にしごうまえいせき)

昭和40年(1965年)に秋田(あきた)で矢戸川(やどがわ)の改修工事(かいしゅうこうじ)が行(おこな)われたとき、古墳時代(こふんじだい)の住居址(じゅうきょし)の一部(いちぶ)が発見(はっけん)されました。これは石を置(お)いて作った炉(ろ)で、中から煮炊(にた)きに使われた土器(どき)の破片(はへん)や灰(はい)も出土したそうです。

秋田字西郷前

石亀塚古墳(いしかめづかこふん)

外坪(とつぼ)にあった大きな円墳(えんぷん)で、明治時代(めいじじだい)の末に道路工事(どうろこうじ)によって壊(こわ)されてしまいました。そのとき、四神二獣鏡(ししんにじゅうきょう)とともに鉄刀(てっとう)、よろいの一種(いっしゅ)である短甲(たんこう)、須恵器(すえき)が出土(しゅつど)したといわれますが、現在(げんざい)は鏡(かがみ)しか残っていません。

外坪3丁目

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