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「文化財収蔵庫」に収蔵されているいろいろな道具などを
たくさん紹介します。
また、その道具を使ったムービーもご覧ください。
おおぐち埋蔵文化財マップ
旧石器時代 縄文時代 弥生時代 古墳時代 戦国時代
戦国時代の出土品と用語解説
擂鉢(すりばち) 擂鉢(すりばち)

擂鉢(すりばち)は古くから使われている調理器具(ちょうりきぐ)ですが、戦国時代(せんごくじだい)になると擂(す)り目の溝(みぞ)の数は少ないものの、今の擂鉢とほぼ同じ形のものが作られるようになりました。当時(とうじ)の擂鉢は、調理に欠かすことのできない必需品(ひつじゅひん)で、溝の凸凹(おうとつ)が平(たい)らになってしまうほど使い込(こ)まれたものも、よく出土(しゅつど)します。ゴマやとろろイモを擂ったり、お豆腐(とうふ)で白和(しらあ)えを作ったりするのに使われるだけではなく、お味噌汁(みそしる)を作るときにも擂鉢で硬(かた)い豆味噌(まめみそ)を擂っていたそうです。

小口城跡(おぐちじょうあと)出土(しゅつど)。
口径:32.0cm(上・復原推定)
底径:16.3cm(下・復原推定)

天目茶碗(てんもくぢゃわん) 天目茶碗(てんもくぢゃわん)

黒っぽい色の釉薬(ゆうやく)をかけた茶碗(ちゃわん)で、天目(てんもく)という名前は、中国の天目山(てんもくさん)のお寺で使われていたものが日本に伝(つた)わったことに由来(ゆらい)するそうです。また、こうした色のうわぐすりも、天目と呼ばれることがあります。最初(さいしょ)は中国からの輸入品(ゆにゅうひん)だけでしたが、瀬戸(せと)でも真似(まね)て作られるようになり、茶の湯(ちゃのゆ)の流行(りゅうこう)とともに盛(さか)んに使われました。

小口城跡(おぐちじょうあと)出土(しゅつど)。
直径:12.5cm(復原推定)

礫器(れっき) 鉄滓(てっさい)

鉄滓(てっさい)とは、製鉄(せいてつ)や鉄製品(てつせいひん)の製造(せいぞう)に関(かか)わる工程(こうてい)で生(しょう)じる、カスのことです。日本刀(にほんとう)などを作るのに最適(さいてき)だとされる古代(こだい)の「たたら」製鉄技法(せいてつぎほう)であるでは、この鉄滓(てっさい)がたくさん出ます。しかし、小口城跡での出土(しゅつど)は少なく炉跡(ろあと)の規模(きぼ)も小さいことから、鍛冶炉(かじろ)で生じた鍛冶滓(かじさい)だとみられます。ただ、鉄を叩(たた)くときに飛(と)び散(ち)る、鍛造剥片(たんぞうはくへん)が検出(けんしゅつ)されておらず、恒常的(こうじょうてき)な鍛冶工房(かじこうぼう)があったとは考えにくいようです。武器の鍛造(たんぞう)だけではなく、築城(ちくじょう)・改築(かいちく)をしたときに、釘(くぎ)などの建築部材(けんちくぶざい)を作って現地調達(げんちちょうたつ)した可能性(かのうせい)もあります。

小口城跡(おぐちじょうあと)出土(しゅつど)。
長さ:6.2cm(左)
5.0cm(右)

鉛玉(なまりだま) 鉛玉(なまりだま)

鉛製(なまりせい)の丸い玉で、一部(いちぶ)が凹(へこ)んでいます。材質(ざいしつ)や大きさから、火縄銃(ひなわじゅう)の弾丸(だんがん)ではないかと推定(すいてい)されています。いくさで使われたかどうかははっきりしませんが、火縄銃から弾丸が発射(はっしゃ)されて至近距離(しきんきょり)で目標物(もくひょうぶつ)に当(あ)たると、この鉛玉のように凹むことがあるといいます。銹(さび)のため、白い色をしています。

小口城跡(おぐちじょうあと)出土(しゅつど)。
直径:1.2cm

土師皿(はじざら) 土師皿(はじざら)

素焼(すや)きの土師器(はじき)の皿(さら)です。作られたときの目的は食器(しょっき)だったかもしれませんが、縁(ふち)に煤(すす)がついているので、灯(あか)りをともす灯火具(とうかぐ)としてリサイクルされていたことがわかります。城内(じょうない)の夜(よる)を、ほのかに照(て)らしたにちがいありません。

小口城跡(おぐちじょうあと)出土(しゅつど)。
口径:9.4cm

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鉄釘(てつくぎ) 鉄釘(てつくぎ)

鍛造(たんぞう)で、四角い断面(だんめん)をしている、いわゆる和釘(わくぎ)です。城内(じょうない)で、建物(たてもの)を建(た)てるのに使われたものとみられます。

小口城跡(おぐちじょうあと)出土(しゅつど)。
長さ:7.5cm

菊花文皿(きっかもんざら) 菊花文皿(きっかもんざら)

菊(きく)の花をかたどったスタンプを押(お)すことで、文様(もんよう)をつけた皿(さら)です。この皿の菊花文(きっかもん)の花びらを数えると、10枚(まい)あります。

小口城跡(おぐちじょうあと)出土(しゅつど)。
底径:5.9cm

土器(かわらけ) 土器(かわらけ)

素焼(すや)きの土師器(はじき)の小皿(こざら)で、お酒(さけ)などを注(そそ)ぎ入れて飲(の)んだりしたものでしょう。宴会(えんかい)では大量(たいりょう)に消費(しょうひ)されたといい、現代(げんだい)でいえば紙(かみ)コップといった存在(そんざい)のものでした。

小口城跡(おぐちじょうあと)出土(しゅつど)。
口径:5.7cm

焙烙鍋(ほうろくなべ) 焙烙鍋(ほうろくなべ)

素焼(すや)きの土師器(はじき)の土鍋(どなべ)の一種(いっしゅ)で、浅くて平たい形をしています。米や豆、塩(しお)などを炒(い)るのに使われたものです。

小口城跡(おぐちじょうあと)出土(しゅつど)。
口径:約30cm(復原推定)

茶の湯(ちゃのゆ) 茶の湯(ちゃのゆ)

茶の湯(ちゃのゆ)は仏(ほとけ)さまにお茶を供(そな)える儀式(ぎしき)に由来(ゆらい)し、鎌倉時代(かまくらじだい)の僧(そう)である栄西(えいさい)が中国から抹茶(まっちゃ)を持ち帰って発展(はってん)しました。織田信長(おだのぶなが)と豊臣秀吉(とよとみひでよし)の二人の武将(ぶしょう)に仕(つか)えた千利休(せんのりきゅう)が、質素(しっそ)で自然(しぜん)との調和(ちょうわ)をめざす侘び茶(わびちゃ)の精神(せいしん)を確立(かくりつ)したころには、一般(いっぱん)にも広(ひろ)く普及(ふきゅう)するようになり、抹茶を飲む習慣(しゅうかん)が広まりました。それにともなって、瀬戸焼(せとやき)や美濃焼(みのやき)の茶道具(ちゃどうぐ)も盛(さか)んに作られるようになりました。武士(ぶし)のあいだでは茶の湯が社交(しゃこう)の場(ば)でもあったので愛好(あいこう)され、戦国時代(せんごくじだい)の城館(じょうかん)からは、多くの茶碗(ちゃわん)や茶道具が出土(しゅつど)します。その後、江戸時代(えどじだい)には現在(げんざい)と同じ「茶道(さどう)」の名前で呼ばれるようになり、精神修養(せいしんしゅうよう)や習い事(ならいごと)としての性格(せいかく)ももつようになりました。
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