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小口城跡(おぐちじょうあと) 小口城跡(おぐちじょうあと)

城屋敷(しろやしき)にある小口城(おぐちじょう)は、長禄(ちょうろく)3年(1459年)、織田遠江守広近(おだとおとうみのかみひろちか)によって築城(ちくじょう)されたと伝(つた)えられています。小口城址公園(おぐちじょうしこうえん)として整備(せいび)される前に、平成6年度(1994年度)と8年度(1996年度)の2次(じ)にわたって、発掘調査(はっくつちょうさ)が行(おこな)われました。調査したのは、廃城後(はいじょうご)まもなく描(えが)かれた絵図(えず)にみられる「やぐら台(だい)」にあたる部分と、そのまわりです。戦国時代(せんごくじだい)の建物(たてもの)の柱(はしら)を支(ささ)えた礎石(そせき)などが出土(しゅつど)して曲輪(くるわ)のあったことが推定(すいてい)され、南と西では内堀(うちぼり)とみられる斜面(しゃめん)が確認(かくにん)されました。出土した遺物(いぶつ)の年代観(ねんだいかん)から、この曲輪の最盛期(さいせいき)は、広近による築城(ちくじょう)よりも100年ほどたった時期(じき)と判断(はんだん)されます。現在(げんざい)の小口城址公園には、小口城の歴史(れきし)や出土品(しゅつどひん)を紹介(しょうかい)する展示棟(てんじとう)が建(た)っています。

小口字城屋敷

礫器(れっき) 堀尾氏邸宅跡(ほりおしていたくあと)

堀尾跡(ほりおせき)の桂林寺(けいりんじ)の西にある、堀尾吉晴(ほりおよしはる)の居館跡(きょかんあと)です。まだ発掘調査(はっくつちょうさ)は行われていないので、くわしいことはわかりません。遺跡(いせき)からみて五条川(ごじょうがわ)の向こう岸(ぎし)には、堀尾跡公園(ほりおせきこうえん)が整備(せいび)されました。いくさで命(いのち)を落とした堀尾金助(ほりおきんすけ)の母が、わが子の供養(くよう)のため、今の名古屋市熱田区(なごやしあつたく)にかけた裁断橋(さいだんばし)も、ここに復元(ふくげん)されています。

堀尾跡2丁目

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